ラテンアメリカは良くも悪くも「やりたいこと」を「やらねばならないこと」に優先する文化で、いろいろな人とコラボするときには相手が本当に約束や期日を守ってくれる人物なのかを見極めなければならない、というのは事実だと思う。
それにしても各人の性質や、彼彼女が日々「やりたいこいと」にフォーカスしていることで担保される、半ばステレオタイプ化された「ラテン系」の「陽気」さや「自由」よりもむしろ、他者や友人、社会全体に対しても一人一人が「やりたいこと」を優先し「楽しむ」ことを許容する「深い」自由が受容されていること。ここにラテンアメリカの偉大さがあるのではないかとずっと考えていた。(繰り返すとこれは各人が自らの精神状態ゆえに高揚感を表現したり、自由に振舞うことよりも数倍複雑で難しく、どうしても「正論」に始終しがちな日本やアジア諸国の社会では感知しがたいタイプの自由だと思う)
あくまで印象論と断ったうえで。人口約4900万人(ラテンアメリカで3位)のコロンビアはアーティストが非常に多く、アーティストコレクティブやオルタナティブスペースの数は確実に人口1憶3000万の日本を上回る。最大都市のボゴタだけでもそれなりの規模の美術学部を持つ大学がざっと数えて10前後あり、国全体でのアートシーンの規模は人口数十万の中小都市から250万人の主要都市までを含めると相当な規模になる。キャリアの浅いアーティストでも自作の展示に賃貸料払うことは滅多になく、逆にお金をもらえることは少ないけれど、企画が通ればスペースの使用は基本的に無料だ。
コロンビアの作家たちの多くはいつもアートに対する公的支援が少ないことに異議を唱える。しかし展示の公募は国内外の文化機関や小規模なイニシアティブのものを含めコンスタントにアップデートされるし、その大部分は応募無料で、オープニングのパーティー代をシェアする用意さえあれば、前述のように自作をどこかのホワイトキューブで展示することのハードルはそれほど高くない。
ここ3年ほどオーガナイズしてきた展示(http://www.takaakikj.com/curatoriales/) の多くは大学や文化機関所有のスペースやミュージアムが中心で、現状復帰という条件のもとスペースの使用コストがかからないのは前提で、どこまで交通費、設営費、キュレーションの報酬が出るかという交渉が焦点となる。
先日墨田区Art Trace Galleryのミーティング(2020年3月7日)にてシェアした大体の内容。

Photo: Miyuki Ichijo