ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートからの衝撃

2018年(セルバンテス文化センター東京)、2019年(Art Trace Gallery)と2年連続でラテンアメリカのコンテンポラリーアート展を東京で開催することができた。関係者およびご来場いただいた方々に深く感謝したい。これら二つの展示を通じ多くの知己を得ることができ、また展示内容や作品についてさまざまなコメントをいただいた。いただいた言葉のなかで特に多くかつ印象に残ったのは展示作品の「社会性」に関するものだった。何人かのアーティストや美術関係者の意見によれば日本のコンテンポラリーアートには「社会」的な表現が欠けている。日本人作家の技巧に意を凝らすことに終始する作品を見慣れた目には、ラテンアメリカのアートにおける表現の苛烈さや直截性はとても新鮮だということだった。

ところで、美術における「社会性」とは何だろうか。また仮に「社会性」という概念がはっきりと定義できる何かであるとするならば、そうした側面においてラテンアメリカと日本のコンテンポラリーアートには何か目だった相違があるのだろうか。アート制作や表現の現実的な社会へのかかわりという点で見れば、経済が長きにわたって停滞する日本においても、90年代までの経済大国というアイデンティティを問い直しながら、集合的記憶をリサーチしたり、日常のなかのこれまで看過されてきた地域固有の価値を問い直す作品が多くみられ、そこに社会性がないとは言いきれない。また、2000年代以降盛んになったコミュニティーアートでは、さまざまな批判はあるにせよアートと地域住民のかかわりを探りながら広い社会的文脈における制作表現の意味を探る試みであったと言ってよい。そうした日本のアート全般における過去十数年の傾向は、東京で展示されたラテンアメリカ出身作家の作品における社会性の表現とどう異なるのだろうか。

たしかに、明治いらい政府主導で急速な西欧化を推し進め戦後はアメリカ合衆国を範としながら経済・消費大国としてのアイデンティティーを確立した日本と、スペイン植民地支配からの独立以降、社会的不平等や大国の干渉をまえに多くの国で革命や政治的動乱を経験したラテンアメリカ、また戦後、米ソ東西対立の「無風」地帯として長期的な政治的安定や経済繁栄を享受した日本と、そうした冷戦構造がもたらす陰画としての現実(代理戦争=冷戦とは名ばかりの熱い戦争)に直面することを余儀なくされたラテンアメリカ、とくにコロンビアのような国における一般市民の社会的関心のレベルにはおおきな違いがあるのは否めないと思う。

1960年代に端を発し90年代まで熾烈を極めたコロンビア内戦はおおむね終息の方向に向かいつつはあるものの、大都市から離れた山岳、低湿地方ではいまだ犠牲者を出し続けている。批評家の椹木野衣が述べるように冷戦構造とはエアコンの室外機に喩えられる何かであるのかもしれない。つまり、快適に空調されたスペースで煌びやかな消費文化の繁栄を謳歌したのはアメリカ合衆国や西ヨーロッパ、日本などわずか数か国であり、西側資本主義社会のメディア化されつつある現実の外では冷戦とは名ばかりの熱い戦争が続いていた。

多くの日本人にとって1945年以降現在までがおおむね平和と経済成長・安定の時代であるならば、コロンビアでは左翼ゲリラとアメリカ合衆国が支援する政府軍や準軍事組織による絶え間ない暴力的衝突の時代であった。こうした文脈を鑑みるならばコロンビアのコンテンポラリーアートを日本で展示することは冷戦というコインの表裏における美術表現を真っ向から突合せる試みであるといえるのかもしれない。

2019年5月墨田区Art Trace GalleryにてオープンしたTERRESTRES展展示作品のうち、「熱い」戦争がいまだ終わらないコロンビアという国の政治的現状にもっとも直接アプローチした作品はディエゴ・クルス(Diego Cruz)氏のIn Memoriam (亡き人のために)と題されたパフォーマンスである。コロンビアでは根深い経済的不平等や内戦が多数の犠牲者を出す現状を前にこれまで多くの社会運動が生まれてきたが、これらの運動に関わったアクティビストらは多くが脅迫を受け、暗殺されてき た。エル・ティエンポ 紙の統計によるとこうした暴力がもっとも激しかった 2003 年には 1900 人を超 えるアクティビストや人権擁護団体のメンバーが殺害され、昨2018 年にも 226 人の犠牲者を出している。

作者のクルスはボゴタ出身で、2003 年前後よりアーティストとして活動をはじめる以前より労働法を専門とする弁護士として勤務し、上述のような政治的暴力の蔓延を憂慮してきた。In Memoriam 制作にあたって作者は、ボゴタ旧市街に位置するボリバル広場周辺を歩きながら、道行く人々に対してインタビューを行った。質問内容は家族や友人、知人などのうちなんらかの政治的暴力の犠牲となり命を落とした人がいるかというもので、該当する場合はライスペーパーの紙片にアチョテと呼ばれる食用の着色料でその人物の名前を書いてもらう。

こうしたフィールドワークの結果集められ、140人もの一般市民や活動家らの名前が書かれたライスペーパーの紙片を使うパフォーマンスは、極めてポエティックなものである。展示スペースで作者は一定の大きさの壁面を確保し、様々な筆跡で名前の記されたライスペーパーを水に浸し、貼り付けていく。壁面に水で貼られた紙片は場所の湿度により一定時間そこにとどまるが、やがて次々と剥 がれ床に舞い落る。壁のすぐ下には水の張られた容器が置いてあり、容器のなかに落ちた紙片は溶けてなくなる。In Memoriam においては内戦の犠牲者らの名前は水でかろうじて壁に固定されている間だけそれを見る人の前に存在する。この作品が喚起する、犠牲者の名前の一時性というテーマはコロンビアにおける集合的記憶という問題とリンクする。コロンビアの一般教育では内戦の過程で生じた政治的暴力の犠牲者の存在を忘却することなく語り継ぐことが大きな課題となっており、そこにはどこか戦後日本の平和教育と通じるものがあるようにも思える。

ラテンアメリカと日本。コンテンポラリーアートにおけるコンテクストのもう一つの大きな違いはラテンアメリカ諸国の人種的、文化的な非画一性ではないだろうか。批評家藤田直哉によれば、民族感情の対立や宗教的な摩擦が日常の一部である欧州では、 コミュニティーアートがそうしたフォルトラインを可視化し交渉するという社会的機能を負ったものであるのに対し、未だ「単一民族」神話が支配的な日本の場合はどうしても 「微温的」な内容になる。昨今の外国人労働者の急増という背景があるにも関わらず、日本ではアートにおける「社会」性といったとき、その「社会」がいまだどこか静態かつ一枚岩的なものととして構想される傾向があるのかもしれない。

TERRESTRES展に出品されたペルー出身のシェイラ・デ=ラ=クルス(Sheila de la Cruz)による「脱歴史化する」と題されたデジタルコラージュはラテンアメリカがいまだ植民地主義や新植民地主義の遺産により分断された大陸であるという事実を直截的に提示する。多くの中南米諸国の例にもれず、ペルーでもヌエ バ エスパー ニャ副王領時代に制度化されたカトリック教会はドミナントな社会階級と手を取り合い、西欧中心主義的な社会的価値を維持してきた。そうした「公式」のナラティブの中では先住民やメスチソ、そしてアフリカ系住民らのアイデンティティーは周縁化され、そのような社会的分断がもたらす政治的対立やテロリズムの 犠牲となってきたのもまたこうした文化・人種的マイノリティーの人々であった。

本シリーズで作者は副王領時代の宗教画の一部を切り取り、1980 年代以降激化する左翼ゲリラと政府軍の衝突や、そうした対立における先住民への暴力を重ね合わせる。ここではハーモニアスかつ一枚岩的な世界像を示す宗教画は脱文脈化され、スペイン人侵攻によるキリスト教の浸透もまた現在続く社会的分断の要因の一つであることが想起される。興味深いことにこれらの新しい「宗教画」は薄手の紙にプリントされ、額装されることなく展示空間に釣り糸で吊られる。これは荘厳さに重きを置く(念入りなデコレーションを施された額に収められる)宗教画の伝統にたいする作者の疑問符と読むことができる。デ=ラ=クルスの新しい「宗教」画は民族・人種的多様性に起因するラテンアメリカ的現実の複数性と協約不可能性をわれわれに突きつける。

上述のコロンビアやペルーの例にもれず、多くの国で政治的分断や暴力の蔓延に苛まれてきた中南米では、社会情勢の行方は若者を含め一般市民の大きな関心といえ、そうした関心が美術家の制作に反映されるのはごく自然だと言えるのかもしれない。また、こうしたバックグラウンドとは別にコロンビアでは、作品制作におけるコンセプトの構築やそうした知的なプロセスを通じた作家自身の存在論的側面へのアプローチを重視した実践や、単に美的観点から「良い」作品を制作するだけではなく、作品が作者によってきちんと意味づけされていることを重視するシーンが多く見受けられる。

たとえば美術家フランクリン・アギレ(Franklin Aguierre)氏がリードし、筆者の知人数人が講師を務めたボゴタ現代美術館主催の一般市民向けのアーティスト養成プログラムでは、参加者のライフヒストリーにおけるAfectación (個人の実存を揺るがすような出来事とそのインパクト)について省察した上で制作を行うことが奨励され、参加者の作品には作者による制作プロセスの説明を経てはじめてその意味を了解できるような立体作品やパフォーマンスが多くを占める。また筆者がこれまで審査員を務めた複数の高等学校における美術展では教師が生徒に対し、制作を始めるに先立って作品において取り扱われるテーマ―たとえばジェンダーの不平等や地球温暖化といった環境問題など―について念入りなリサーチを行うことを求めており、生徒は作家であると同時に自作品のキュレーションをも行うというような位置づけだった。コロンビアではアートが作家と彼/彼女が属する社会を束ねるメディアであるという認識は汎く共有されているように思う。

最後にラテンアメリカと日本におけるアートの文化的位置付けというテーマで思い出すのは革命後のメキシコに15年間滞在し、当地で学んだ美術教育の手法を日本で実践しようとした画家北川民次(1894-1989)の言葉である。民次は終戦直後の日本で自ら開いた絵画学校に通う、生徒の親らとの対話の中で、メキシコとは違い日本では絵を描くということが「才能」という概念に即座に結び付けられる傾向にある、述べている。民次によれば多くの親たちが不安げな表情で「うちの子に才能はありますでしょうか」と尋ねる。民次は次のような結論に至る。日本では社会という場が根本的に否定的なものだととらえられており、社会を個人の力によって動かすことができるとは考えられていない。メキシコでは自己省察や社会変革の有効な手段としてとらえられていた美術作品の制作が、ここでは個人的な逃避の手段に成り下がってしまっている。逃避というのはつまり、多くの日本人にとって災厄に満ちた社会という場はまるで天災のように個人を飲み込んでしまうもので、庶民の多くはそうした苦難を耐え忍んで生きるほかない。我が子にこうした苦汁を飲ませないためにはなんらかの特権的な地位が必要となる。それが美術において「才能」を認められることだというのだ。

このように創造的な実践を狭義の「才能」と結びつけることで美術と社会を切断してしまう考え方は現在も日本におけるアートの実践の中に、どこか通低音として存在するものなのだろうか。日本のコンテンポラリーアートに「社会性」が欠けているというコメントは、北川の言う日本の近代化の過程と絡むようなどこか根底部分におけるボタンの掛け違えのような何かと関連するのだろうか。ラテンアメリカのアートを日本で展示することは、来場者とともにこうした深い問いかけを行うことにつながってゆく。

「詩と思想」2019年11月号、172-175 ページ

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