Layover: Salas de espera en el aire (Fukuoka)

Layover展(福岡会場)によせて

本展のタイトルLayover(ˈleɪˌoʊvɚレイオーバー)は一般的な英語で乗り継ぎや待ち時間などを意味する言葉だが、北米の長距離バスなどではとくに、ターミナルで乗客が一旦バスの外に出て待合室で過ごすことが義務付けられる長時間の停留を意味する。空路での移動が主流の米国をグレイハウンド社などのバスで旅すると、ルートによって途中の町や村で長時間のレイオーバーがあり、移動の総計は数日間に及ぶことすらある。

2008年、グレイハウンドバスで当時住んでいた中西部の大学町からシカゴまで旅した。その年はガソリン価格の高騰からかバスは混みあっており、しかも所要時間は自動車でフリーウェイを飛ばす場合の2倍以上にもなった。個人的な快適さや効率性、スピードを至上価値とする米国で、まるで地表を這いつくばるように、しかも多くの見知らぬ他人とバスというひとつの空間を共有しながら移動する世界が存在するということに軽いショックを受けた。

このLayoverという言葉に象徴されるような、出発地から直に目的地に至ることができないまどるっこしい状況 (それは台所事情から空路を利用できない一部の米国市民の困難とも重なる)、また旅行者の視点に立てばそうした条件のもとで陸路を緩慢に移動しながら人々や見慣れない風景を吟味する経験は、2020年のSARS-CoV-2パンデミック開始以降、何も陸路での長距離移動に限らず、空路の旅や、日常生活で近隣のスーパーへ買い物にいくことなど、日々の生活のあらゆる場面に現れるようになった。

こうした状況のもと、コロンビアと日本のアートコミュニティーの交流を目指す本プロジェクトも2019年末の構想以来数多くの中止や延期を余儀なくされてきた。また、輸送上の制約を前に参加作家らもメディアや作品内容、コンセプトの変更など、これまでにない挑戦を迫られることとなった。

いずれにせよ今回2年間のインターバルを経て展示される10人の美術家らによる作品は、ゲリラや麻薬カルテル、右派民兵組織などを巻き込み半世紀にわたって続く内戦や、度重なる反政府デモ、そしてそれらに続くグローバルなパンデミックなど複数の社会的分断の記憶がいまだ生々しいコロンビアという固有の土地で、各作家が個々の視点や生活体験を基に、そうした分断状況における他者への視線や政治的対話の遅延などLayover的とも呼べる状況についてリサーチを継続してきた成果である。

たとえばNicolás Francoの『風景のエラー』はアンティオキア、カウカ、ナリニョというコロンビア国内で人権活動家やコミュニティー指導者の暗殺事件が特に多い3つの県で撮影された観光地の風景写真を素材とした作品である。2002年のアルバロ・ウリベ(1952-) 政権誕生以降、政府は国内の左翼ゲリラを強硬に排除する政策を重要視してきた。その影響で観光客が国内を旅行する上での治安は大きく改善したが、エスカレートした政治暴力の影響で前線となる密林地帯や農村部において多くの人命が奪われてきた。

2016年には最大の武装組織であるFARCと政府の間で歴史上初の停戦が合意されたものの、FARC分派やELN(民族解放軍)はこの合意を拒否しており、地方では未だ多くの難民が発生している。この作品でFnrancoはバイナリエディタを使用しこれらの写真をまず数字の羅列に還元し、そこに内戦のさ中命を落とした人々の氏名をコード化したものを挿入する。デジタル画像にとってDNAともいうべきデータを改変された写真はグリッチ効果により風景としての読解が不可能なものへと変貌し、大都市での生活や観光産業の言説では不可視化される他者の存在を暗示するイメージとなる。

もう一人の作家Ismael Barriosはより身近な都市の日常から作品の着想を得る。Barrios はパンデミックによる様々な規制が報じられる2020年3月のある朝、自身が住むボゴタ市西部Engativa地区のバリオ(ネイバーフッド)のベーカリーで、その地区に長く根づく中華料理屋の店主と遭遇する。Barrios の写真は空前の世界的危機のもとで国境が次々と封鎖されるさ中、その存在は了解していながら言葉すら交わしたことのない一アジア人の、ディアスポラとして生きることの意味に思いを馳せたものである。

しかし同時に興味深いのは、これらのイメージが自宅待機命令が施行され社会生活のさまざまな局面でヴァーチャル化が進む中で意識の片隅に追いやられた他者の存在、換言すれば、隣人、とくに挨拶を交わすわけではないが、お互いその存在を認識しあうことでどこか安心できるような他者との関係の意味について語りかける点である。

Barriosの作品から約1年、パンデミックも2年目に突入した2021年4月28日、コロンビアでは各自治体主導のロックダウンが続く中、首都のボゴタを筆頭とする主要な町や村で増税に反対する大規模なストライキが発生し、大勢の市民が街のメインストリートや郊外の幹線道路を埋め尽くした。雨模様の空の下、政府や市当局が掲げる外出制限、ソーシャルディスタンスやマスク着用など公衆衛生のロジックを放棄して路上を埋め尽くし大声で叫ぶ人々の姿は、私には何がとても大事なことを伝えているように思えてならなかった。

その「大事なこと」が何なのかを詳述することは別の機会に譲るとして、確かなことが一つある。それは他者との連帯を確認しながら政治的な異議を申し立てること、そして我々アーティストが社会や世界というその全体像を掴むことがきわめて困難な対象に向かって何某かを表現するということは、身体性や一切の偶発性を排除したヴァーチャルな空間の内部ではほぼ絶対に不可能だということである。

それはおそらく個々人が「社会」なり「世界」について或るおぼろげな、一つの共通理解を形づくることができるのだとすれば、混雑する北米のバスの待合室や、Engativa地区の名もなきパン屋での経験のように見知らぬ、ろくに会話さえ成り立たないような他者の存在を己の身体性を介して了解することでしかなしえないからではないだろうか。今回の展示が、コロンビアという固有の地平を事例として、アートという実践や日常経験における社会的視点のありかたについて再考する機会となることを願う。

Takaaki KJ
Layover展共同キュレーター

展示作品(一部)

Eduardo Soriano エドゥアルド・ソリアノ
防護用具 
カラー写真によって編まれたオブジェ
2008

ボゴタ首都特別区立大学(Universidad distrital Francisco José de Caldas) にて美術を専攻。コロンビアのほかスペイン、アメリカ合衆国などでグループ展に参加。本作品はコロンビア太平洋岸地方に住む先住民族エンベラのコミュニティーにおけるフィールドワークの一環として制作された。コロンビアでは長期化する内戦により多数の市民が土地を追われ、先住民コミュニティーもまたこうしたプロセスの犠牲となった。本作はほんらいは一時的であるはずの移住地で、彼らが伝統に基礎を置く日常を再構成してゆくことのメタファーとして、従来の素材のかわりに短冊状に切り取られた同色の写真プリントを使用し彼らの伝統的な装飾品を編み上げたものである。写真は共同体とその外部―観光客や人類学者ら―のコンタクトに不可欠なメディアであり、本作はそうした外部文化との接触を経て先住民文化に新たな断面が加わる状況と、それにまつわる文化の真正性に係る言説に一石を投じるものだと言える。

Jonahtan Chaparro ジョナサン・チャパロ
入口II
「鏡のなかの鏡」シリーズ

写真(上記イメージは、ポリエステルに昇華転写プリントされたデジタル写真
ガラス板、プロジェクターを用いたインスタレーションとして展示されたもの)
2019

メキシコ国立自治大学(UNAM)大学院にて美術を専攻。メキシコ、コロンビアで個展を開催するほか多くのグループ展、アーティスト・イン・レジデンスプログラムに参加。文化人類学者ガルシア=カンクリーニによればラテンアメリカの大都市は植民地経験に由来する文化の異種混淆性(ハイブリディティー)を体現する空間として見ることができる。コロンビアの首都ボゴタも例外ではなく、北部を中心とした高層アパートメントやショッピングモールに象徴されるアメリカナイズされた生活スタイルと、南部を中心とするカトリック教会や数世代が親密な関係の下で暮らす「ファミリア」の伝統に基づく庶民の日常が同居しており、後者はしばしば
アーティストにとって自らのルーツを反芻するリサーチの対象となる。作者はボゴタ南部に住む祖父母の家を訪れ、半世紀以上前の様々なオブジェで装飾された居間の風景に接するうち、そこでは祖父母らが現在とは切断されたまるで鏡の向こうの世界であるかのような、過去の時間を生きているのではないかという仮説を立てる。本作はこの居間で撮られた300枚以上の写真を基に構成されたイメージを鏡に見立て、背後から光を投影することにより窓の向こう側の(半世紀前)の世界とこちら側に想像上の回路を開く、内と外のタイムラグを素材とした或る意味でパンデミックを予期するかのような作品である。

Nicolas Franco ニコラス・フランコ
風景のエラー
バイナリエディタによってレタッチされたデジタル写真
2019
フレキシブルなプリントサイズ

 

Valeria Montoya バレリア・モントーヤ
非=居住
写真 
2017
各30 x 20 ㎝

現在、ハベリアナ大学 (Universidad Javeriana) にて美術を専攻。2015年より複数のグ
ループ展に参加。8つの写真からなる本シリーズは危機に遭遇したときに頭部を隠すダチョウの習性にイン
スピレーションを得て制作されたものである。作品はボゴタのような大都市で犯罪の蔓延に象徴される貧富の格差やニュース映像に現われる社会の暗部に接しながら暮らさざるを得ない一般市民にとって、日々の典型的な行動様式についてのひとつのメタファーとしてみることができる。当然のことながら暗い現実に目を閉ざし個々の私的ユートピアに内閉しようとしても、現在世界が直面している社会的危機を回避したりそれらから身を守ることにはならない。

Santiago Andrés Torres サンティアゴ=アンドレス・トーレス
コスミック・ランドスケープ
ブラックライトで撮影された写真
50 x 50 cm
2019
ボゴタ出身。マドリッド、コンプルテンセ (Universidad Complutense) 大学で国際関係学を専攻、コミュニティーワーカーとしてコロンビア紛争地域で平和構築に携わる。2019年からアーティストとして活動を開始。コロンビアの重要な地下資源である石炭のディテールを背景に作家がこれまで制作してきた抽象彫刻作品をブラックライトのもとで撮影した写真作品である。多国籍企業による大規模な採掘の影響でローカルな炭鉱夫らが働き口を失い土壌が汚染されるなど、炭鉱はコロンビアのアートコミュニティーでは喫緊の社会問題としてしばしば取り上げられる。本作品は、「ブラックボックス内部への旅」と作者が語るように石炭という物質を惑星の地表に喩えながら原初的なレベルにおける人間にとっての地表という存在や、地球環境へのかかわり方への再考を迫る作品である。

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