Layover: Salas de espera en el aire (Bogotá-Colombia)

「マリアがいた風景」

2022.7.29 

「Layover」展共同キュレーター 城野敬志

日本とコロンビアを巡る移民の歴史は古く、1908年の日本コロンビア修好通商航海条約の調印後、幾度かにわたり日本からの計画移民政策が実施された歴史がある。

コロンビアへの計画移民政策は、コロンビアの文学作品が日本で翻訳されたことがひとつのきっかけになっており、他の南米移民の歴史とは異なり、コロンビアの日系移民の歴史はロマンチックなエピソードを持っているという点が特徴的だともいわれている。

1922年に東京外国語学校(現・東京外国語大学)でスペイン語を学んでいた竹島雄三がコロンビアの詩人であるホルヘ・イサークス(Jorge Isaac)の恋愛小説『マリア』(※1)を読み、感銘を受け大学在学中に日本語に翻訳、機関誌『新青年』に連載を開始する。(※2)

『マリア』はアンデス山脈の麓にある大農場「アシエンダ・パライーソ(天国の荘)」を舞台にした青年エフラインと美少女マリアの悲恋物語だ。海外植民学校の夜学生だった島清、中村明、西国徳次、松尾太郎明らがこの『マリア』を読み、小説の舞台となったバジェ平原の牧歌的風景に魅了され南米雄飛会を結成、1923年にはその内の4名が農業実習生としてコロンビアに移住を行っている。その後コロンビアでの研修報告書を拓務省(現・外務省)に提出し、竹島らによってコロンビアの現地調査が行われた。その結果、日本政府と竹島が現地代理人を務める海外興業会社が移民開拓用の土地を購入し、準備段階を経て1929年には福岡県浮羽郡の3家族を含む5家族が入植を行い、合計3度の計画移民で24家族159人(うち148人が福岡出身)が集団移住した。

この際、竹島自身もコロンビアへ入植し、コミュニティの指導者となる等、一冊のコロンビア小説が持つ写実性や芸術性が翻訳され届けられることで、計画移民が拡大するひとつのきっかけとなったとも言え、延いては地球の裏側にある両国の関係性を繋いだとも言える。

当時の日本は大正時代にあたり、近代化に伴い自由恋愛が少しずつ花開いていた。恋愛文学ブームが起こっていたこともあり、竹島が翻訳したこの恋愛小説『マリア』が南米雄飛会に多大な影響を与えたことは容易に想像できる。竹島も、恋愛小説『マリア』の翻訳を通じ、日本政府が行う計画移民に希望を夢見たのではないだろうか。

このように、小説『マリア』という芸術作品と、それが翻訳されることで触発された彼ら南米雄飛会との関係の間に変容が生じたように。本来は翻訳不可能である芸術作品の翻訳によって生まれた交流が、コロンビアと日本との間で、人々の人生や政治を動かした例となっている。

本展では、芸術における翻訳がこのような重要な出来事を生んできたことに着目した。

この「翻訳【translate】」という単語には語源があり、「向こう側へ【trans-】」「運ぶ【latus】」という意味が内包されている。本展に出品する作品が日本からコロンビアへ運ばれ、展示されることで、南米雄飛会が『マリア』を読んだ時のように、「変容【transfiguration】」し、希望を感じることは可能だろうか。

本展はこの計画移民で入植した者がほとんど九州出身だったという観点と、南米雄飛会からの入植者になぞらえ、九州を拠点としている4名のアーティストを紹介する。幅広い表現や技法、制作の背景など、魅力的なアーティストの作品が、在コロンビア日本大使館協力のもと、Los Andes大学と共同運営する施設、日本センターで見ることができる。

竹島が『マリア』と出会ってちょうど100年。私たちも南米雄飛会が『マリア』で見たあの牧歌的風景を想いながらこの交流展を継続し、この関係が拡大していくその第一歩になればと考えている。

■参考文献

※1.ホルヘ・イサークス『マリア』武田出版,1998.
※2. 長谷川雄一『日本人コロンビア移民の父・竹島雄三の移民論』

https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/political/political_50_3/each/23.pdf

■展覧会情報

【展覧会名】Layover

【会期】8月29日(月)~ 9月30日(金)※作品の海外郵送の関係から日程は変更される可能性があります。

【時間】10:00 – 15:00(土日祝定休)
【会場】日本センター(Los Andes大学内)
【住所】Centro del Japón Universidad de los Andes Calle 18a No.0-07 Bloque CJ Bogotá, Colombia

【参加作家】(計4名)

・平川 渚(ひらかわ なぎさ)【平面/インスタレーション】
・生島 国宜(いくしま くによし)【絵画】
・加藤 笑平(かとう しょうへい)【平面/映像】
・宋 秀臣(そう ひでおみ)【写真】

コロンビア、日本、近未来
Layover展(ボゴタ会場)に寄せて

冒頭から私事で恐縮だが、2013年以降コロンビアを拠点として活動しキュレーターおよび写真家として当地における複数のアート/コミュニティープロジェクトに関わってきた立場から、強調しておきたいことがある。それは、日本ではその様相がほとんど知られていないコロンビアという国がことのほか親日的であり、多くの一般市民が日本(またはその延長として他のアジア大陸の国々)や日本人について友好的なイメージを抱いているという事実である。

上記は単なる個人的な印象の特権化でしかないのかもしれない。しかし曲がりなりにも人類学を学んできた人間として、前述のプロジェクトや日常を過ごすなかで都市や農村、ときにはそれらの場所から遠く離れた無人の荒れ地を移動し、さまざまな地域や社会階層出身の人々と交わるなかで、彼らの発話には相応の注意を払ってきたし、そのような他者イメージが形成された背景や文化状況などについても個人的な考察を加えてきた。ここ数年ずっと、コロンビア市民の多くにとって日本を含むアジア大陸の文化は、一方向的な異国趣味や、オリエンタリズムでは割り切ることのできない、クリティカルな対話に開かれた存在なのではないかと考えている。

おそらく重要なのは、コロンビアで人々が日本やアジアにいついて語るとき、彼らの発話において参照される時空間が、歴史的過去よりも圧倒的に現在や近未来であることが多いということである。このことは主に二つの観点から考えることができるように思う。一つは20世紀初め以降数多くの日系移民を受け入れてきたブラジルやペルーなどの国々と異なり、コロンビアでは、歴史的に日系やアジア系移民の流入やその政治文化的影響が限定的であり、21世紀の現在においても市民の日常におけるアジア文化の影響やプレゼンスが希少であるという事実。

もう一つはそうした過去におけるリアルな政治的緊張や利害関係、肌着レベルでのコンタクトの欠如が、ここ数十年に台頭してきた若い世代のアニメや漫画への熱狂と同期し、一般に流通する日本のイメージがクリエイティブな視覚文化-アニメや漫画、ビデオゲームなど―の圧倒的な影響のもとで形成されてきたという可能性である。これは現実的な顔と顔を突き合わせる関係性、具体的に言えば参与観察に基礎を置く伝統的な人類学の立場などからすれば、首肯しがたいものなのかもしれない。それにしても興味深いのは、前述のようにコロンビアで人々が日本について語るとき、過去よりも現在や近未来に光が当たるという現象である。そこには地上の多くの国々で、国際間の発話が過去の植民地支配や戦争の記憶に避けがたく囚われてしまうのとは異なり、底抜けの自由さと楽観主義が垣間見える。

これまで数多くの歴史家や批評家が指摘してきたように、20世紀の後半を通じ日本の文化的アイデンティティーについての語りは、一見煌びやかな経済的繁栄や憲法9条に象徴される民主主義の理想を謳歌する支配的言説の陰で、植民地主義や敗戦の記憶、東西冷戦構造下における政治的分断という複雑な歴史的伏線のもと構成=再構成を迫られてきた。そのような困難は、ルース・ベネディクト(1887-1948)の日本論に端を発する北米文化を映し鏡とした日本文化の「特殊」性の議論や、高度成長期の欧米と肩を並べる先進工業国としての自負、そしてバブル・冷戦構造崩壊以降次第に加速するクールジャパン戦略をはじめとする文化外交の強調などいずれの局面においても避けがたく潜在しているように思える。

たしかに北米や欧州の場合と同様コロンビア市民にとっても日本について語るとき大きな焦点の一つとなるのが『菊と刀』にその原型を求めることができるような、伝統文化や習慣における「特殊」性であるのには変わりがない。しかし特筆すべきなのはコロンビアでは多くの人々が、日本人の「勤勉」さや「真面目」さ、「集団主義」(悪い言い方をすれば没個性や融通の利かなさ)を、(しばしば「ラテンアメリカ的」な怠惰さや彼らが言うところの「身勝手」な自己中心主義と対比しながら)欧米的な合理的精神への遅延としてではなく、むしろかつての日本の経済繁栄や視覚文化の世界的な流行を裏打ちする「クール」なものとして語ることである。

上で素描したようなコロンビアというグローバル経済の周縁において日本のセルフイメージを見つめなおすことの可能性、および2016年以来コロンビアの各都市で開催してきた日本在住作家の展示で得た収穫を念頭に置きつつ、今回のLayover展では九州地方を主な拠点として活動する平川渚、生島国宣、宋秀臣、加藤笑平ら4人の作家の作品を展示する。いずれも間メディア性や作品が展開される場の固有性を重視する彼らの作品は、2000年代、 2010年代以降の日本における大都市をベースとする経済一辺倒の価値観の変容や、地域性や日常性への着眼、 現代アート理論 における脱中心化という流れの中で、美術作品の制作が他の創造的なジャンルと交叉し、地域コミュニティーとの関わりのなかで作り手と鑑賞者の関係性が大きく見直されてきた文脈と大きく関連している。

これは重要なことだが、アーティスト個人の制作活動と地域コミュニティーの日常性を結んでいくことはコロンビアのアートシーンでは1990年代以来議論されてきたアートの「民族誌的転回」よりはるか以前から試みられてきたことであり、それは経済的不平等や政治的腐敗など多くの社会的課題を抱えるラテンアメリカにおいてアートが作家の政治や社会的関心を表現する手段として捉えられてきたこととと無縁ではない。

こうした意味で今回のLayover展では、絵画、写真、参加型インスタレーションのほか、会期中に予定されているコロンビア在住作家とのコラボレーションのもと開催されるパフォーマンスなどを通じ、コロンビアの市民にこれまであまり知られなかった日本のアートの現状やそれを取り巻く日常空間を垣間見せるはずである。とくに、両国のアートコミュニティーにおいて、お互い遠い異国への興味を超えて、作品制作の社会的意義や、そうした活動が展開する両国の歴史的文脈の相違や共通の課題などについて、クリティカルな対話が生まれるきっかけになることを目指す。

本展のタイトルLayover(北米の長距離バスなどでは特に、ターミナルで乗客が一旦バスの外に出ねばならない長時間の停留などを意味する)が象徴するようにこの展示はSARS-CoV-2パンデミックによる世界的危機を経て2年越しに実現するものである。本プロジェクトがコロンビアと日本の現在や近未来について、建設的な対話を進める一歩となることを願う。

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